2013年7月26日金曜日

悲しみの独立開業


社長が逝き、火葬を終えてどうにか供養できる形ができて初七日が過ぎた。

あの人がいなくなってからもう何年も経っているような、そんな気がしてならない。
体が痺れて痙攣するような悲しみが何回か襲ってきたけど、最近は少し落ち着いている。
近所で親交のあった方たちが火葬に来てくれたり、社長の友達だった女性歯科医師の方が飲みに連れて行ってくれたり意外な人からのやさしさを噛み締める機会があり、かなり心が救われた。

仕事の方は元請、行政書士、顧問税理士さんと相談した上で、屋号のみ引き継いで自分が独立開業することになった。
社長の会社は実質的には廃業、同名の個人会社の一からのスタートとなる。
客先の元請の担当営業は昔からの付き合いだが、代表が亡くなって変に手のひらを返してこないか少し心配ではあるが、一応今月の支払い通知もウチの方に来たので、請負工事の仕事はなんとかなるかな、先はわからないけど…

少し怖いのは、今までにないようなお金が直接ウチの口座に入金されるので、来年どんだけ税金が来るのかという事だ。

でも今回の社長の死は、少しオレの人生観が変わってしまうぐらい、悲しく寂しい今でも受け入れ難い出来事だった。
あれだけの病気と合併症と足の切断があったにもかかわらず、あの人はいつも健気に子供みたいに抱負を語っていた。死ぬのも辛いが、生きるのももっと辛い、そんな追い込まれた状態ではあったけれど、オレと一緒になってああしようこうしようと話しをしていた。
オレが車椅子を転がして散歩に連れて行ってあげるといつもすごくと喜んでくれた。
ほんと、子供を看るような感じでオレはあの人に接していたかもしれない。かけがえのない人を失ったという寂しさと喪失感がとても大きい。
あの人とまた出掛けたい、話しがしたいと思っても、どうする事もできなくなってしまった…
時間がクスリ、とはよく言ったものだが、どれぐらいの時間が経てばオレの気持ちは救われるのだろうか。

そう、一つだけあの人に聞けるとしたら、このまま東京で供養してあげるのがいいか、それとも両親のお骨のある場所を探してそこに一緒にしてあげるのがいいか、という事だろうか…
オレはできれば東京で面倒を見てあげたいし、このまま供養してあげたいと思っているよ。
あなたはなんにも言わずに逝ってしまったから…
どっちがいい?社長…

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