2016年11月9日水曜日

一喜一憂


俺が学生の頃は、携帯電話もなかったし、インターネットやらパソコンなんてのもなかった。

彼女とデートをするにしても、直接約束するか、家の電話でやり取りして時間や場所を決めるぐらいだった。約束したらあとは現地で待つしかない。今どの辺まで来たとか、30分遅れそうとか、知る術もない。それでもまあ、人間関係は成り立つ。約束どおりに事が進んでも、すっぽかされてしまっても、それはそれで味というものでしょう。

昔はなかったモノが世の中に流行り始めると、若い子たちはそれなりに吸収するのも早いが、俺みたいな歳になるとそうもいかない。

ハロウィン? なんだそれ。
恵方巻き? そんな習慣あったっけ。

なんて事をチラチラ感じながら考えれば、自分よりも年配の人にとっては、クリスマスもバレンタインも同じような事が言えるんだろうなと思ったりする。

テレビも新聞もインターネットも、伝わり方には差があるけどたくさんの情報を我々に与え、考えさせて、悩ませる。
伝える側の儲けを含んでいるから、人々は悩んで一喜一憂する。

政治はこうだ、学歴はどうだ、ファッションはこうだ、ライフスタイルだ、自由だ平等だ、所得だ、男と女だ…
大きくて高次な脳を抱えている人類は欲も悩みもなんだかややこしい。




自分で大切にしている感覚というか、思いが一つだけある。

子供はなぜ走り回るのか?  という事だ。
誰に頼まれなくても、彼彼女たちは、疲れという概念を理解せず走り回る。
子供は元気だから…  確かにそうだけど
俺がもし答えるとしたら

「生への執着を持っているから」 
だろうか  

なんで山なんか登るの?
それに対する答えも一緒なんだ。

それでもわからなければ、あなたが生まれてきた事を考えたらいい。

自分の父と母が結ばれ、母の体内に父の何億という種が放出される。
肉眼で確認したことなんてないが、たぶんオタマジャクシみたいなものが卵子を目指して、永くて過酷な旅に出るんだろう。
競り合いながら力尽き、精魂尽き果てるのか、ほとんどの種は死んでゆくだろう。
その中には、我々がわからないだけで辛くて苦しい、逆に晴れやかで楽しいドラマも山ほどあったのだろうと思う。そんな中をくぐり抜けながら種たちは泳ぎ、進み続けるのではないか。
そんな種たちに、「あなた達はなぜそんなに頑張って泳ぐの?」
と、問う者はいないでしょう。
戦い抜いて晴れてこの世に生を受けたとしても、それは人があの世とこの世を勝手に分けて考えているだけで、勝利ではないでしょう。
戦いは続いているんだ。だから邪心のない子供たちは走りまわる。腹の中の続きなんだ。

人は豊かな感情を備えているけど、でもずっと腹の中の戦いのまんまなんだ。
楽しければお腹がよじれるまで笑い、悲しければ泣きじゃくり、
あとはそんなに世間の時事に一喜一憂しないで
人事を尽くして天命を待つほかないでしょう。











2016年2月7日日曜日

Ford





2003年に初めてフォード車を手に入れて、途中1年ちょいぐらいのブランクを除いて、まあ結構な間フォード車に乗り続けている。


Eaton製、122モデルのブロアを積んだ今の愛機もまあ快調そのものだ。
ブースト計の針がふれるような乗り方もしないから、だいぶパワーを持て余し気味だけど…



結構馴染みのあったフォードジャパンが撤退してしまうという事で、自分のは並行モノで関係ないとは言っても寂しい限りだ。
1996年をピークにして販売が落ち込んでいるという事だから、マツダと提携して売っていたSN95マスタングの頃が好況だったという事か。
確かに、すこし国産っぽいエクステリアのSN95マスタングは値段も今よりは手頃だったし、たくさん見かけたし、オフ会なども盛況だったと思う。
S197~S550にチェンジして、去年も50周年とかいってイベントもあった。
ただ今のマスタングの車両価格はちょっと高すぎではなかろか。
2,3リッターのターボ車が500万ではねぇ…
今乗ってるGT500だって知らない人から見たら高級外車のようだけど、やっぱりフォード車って基本、造りがトラックみたいな感じだから。まぁその野暮ったさが長所でもあるしファンが多いのも確かだけど。

サービスや保証は継続するとの事だが、フォードが日本事業から撤退するのに継続って事は、独立採算で新たな車屋としてやっていくんだろうか。ブルーオーバルの看板ぐらいは残して欲しいもんだけど、いちフォードファンとして…



2016年2月5日金曜日



本はたくさん読んだ方がいい。

なんとなく思ってはいても、なかなか苦手だ。
仕事でイライラしたりしていると、活字を読んでもなかなか頭に入らない。
それでも最近すこし読むようになったかな。
内容にもよるけど、月に3冊読むのは自分にしては珍しい…




御巣鷹山を題材にした小説。
あの日航機の墜落をもとにした小説だ。
社会派の山崎さんらしい世界に没頭した。

なかでも、墜落からその後の一部始終をリサーチして書き上げた部分は、たとえ書物の中だけの話しとはいえ、衝撃的で心を打つものがある。
自分の家族を一瞬にして失い、粉々になって回収された誰だかわからない遺体を確認しながら、何日も自分の肉親を探さねばならない地獄はとても悲しく、海の底に沈められているように重い。


自分がこういう内容に共鳴するようになったのは、親しい人との悲しい別れを経てからだ。
人が「死」を目の当りにし、考えるときは、それは紛れもなく「生」を考える瞬間でもあると思う。
今の日本は医療が発達しているし、戦争も何十年もない。生と死がワンセットであることを感じにくくなっている時代の中で「死」というキーワードを出すと、なんだか暗くて辛気臭く思われがちだけど
決してそんな事はないだろう。なぜって、それはすべての生命の根幹なんだから。

3年前、相棒が病院で切り刻まれながら亡くなってゆき、間髪入れずに次は父が逝き、ひとりで泣きながら苦しんでいる時に自分を救ってくれたのは、人の言葉や文章、音楽や自然や山や仕事だった。
山の中で心臓をバクバクいわせながら危ない崖を登り充足感を得るのは他でもない、「生」を実感できるからだ。
また、同じような苦しみを味わった人や年配の方の言葉というのは、言葉数こそ多くはないが、とても心に響くし時間を経ても忘れないものだ。
仕事もそう、仕事自体に自浄作用があるわけではないけど、作業であくせく動いてる時や仕事仲間と雑談している時は気持ちがかなり紛れる。

こういった事を経てくると、身のまわりにあふれている事柄が少し息苦しく感じるようになる。人に注目されたいとか売りたいという作為が濃くて、すごく疲れてしまう。
テレビにしてもそうだし、電車の雑紙の吊り広告のキャッチコピーひとつをとっても、なんだか気色わるい。資本主義でいろいろ売るためには仕方ないし、あんまり否定しても頑固な世捨てオヤジみたいになってしまうからまあやめるが…

でももちろん好きなテレビもある。
ちびまる子ちゃんなんかはいいと思う。
一見くだらないアニメに見えるけど、大事なものが凝縮されているから。

なんだか、本の話しじゃなくなったな…