2013年7月28日日曜日

オレもやばいのか…


今年六月に毎年恒例の健康診断を受けた。
最初の問診では診断結果は良好でその場で終了。

七月、クリニックから手紙が来ていた。
肺のCTを撮ることをすすめるという内容。ちょっぴり薄い影があるとか…
その場はあんまり気にも止めず、今日循環器系の先生がくるので問診にいった。


「CTの予約を入れますか?」と男の先生。
平日がとても休めれる状況でないので聞いた。
「なにか疑わしい病気でもあるんですか?」

「がんです。」

との返事だった。
なんだかポカンとしてしまった。

社長の死のショックの方が大きくて、別に今日は泣きもしなかった。
しばらく女の子も抱いてないから、今のうちにソープでも行っとこうかな…
なんてバカな考えしか浮かばなかった。

ここ一年、社長の事で悲しみ、苦しみ、お互い最後の最後までやり遂げた感がある。
オレには妻も子供もいない。
だらだら長生きするよりはいいかな、でも両親には悪いな、仕事をどうしよう、
いろいろ頭をよぎったけど、まずはCTを受けてちゃんと調べないとなにもわからない。

しかしこれでガン宣告されたら、笑っちゃうぐらいの不幸な人生を歩んでいるな、オレは…

2013年7月26日金曜日

悲しみの独立開業


社長が逝き、火葬を終えてどうにか供養できる形ができて初七日が過ぎた。

あの人がいなくなってからもう何年も経っているような、そんな気がしてならない。
体が痺れて痙攣するような悲しみが何回か襲ってきたけど、最近は少し落ち着いている。
近所で親交のあった方たちが火葬に来てくれたり、社長の友達だった女性歯科医師の方が飲みに連れて行ってくれたり意外な人からのやさしさを噛み締める機会があり、かなり心が救われた。

仕事の方は元請、行政書士、顧問税理士さんと相談した上で、屋号のみ引き継いで自分が独立開業することになった。
社長の会社は実質的には廃業、同名の個人会社の一からのスタートとなる。
客先の元請の担当営業は昔からの付き合いだが、代表が亡くなって変に手のひらを返してこないか少し心配ではあるが、一応今月の支払い通知もウチの方に来たので、請負工事の仕事はなんとかなるかな、先はわからないけど…

少し怖いのは、今までにないようなお金が直接ウチの口座に入金されるので、来年どんだけ税金が来るのかという事だ。

でも今回の社長の死は、少しオレの人生観が変わってしまうぐらい、悲しく寂しい今でも受け入れ難い出来事だった。
あれだけの病気と合併症と足の切断があったにもかかわらず、あの人はいつも健気に子供みたいに抱負を語っていた。死ぬのも辛いが、生きるのももっと辛い、そんな追い込まれた状態ではあったけれど、オレと一緒になってああしようこうしようと話しをしていた。
オレが車椅子を転がして散歩に連れて行ってあげるといつもすごくと喜んでくれた。
ほんと、子供を看るような感じでオレはあの人に接していたかもしれない。かけがえのない人を失ったという寂しさと喪失感がとても大きい。
あの人とまた出掛けたい、話しがしたいと思っても、どうする事もできなくなってしまった…
時間がクスリ、とはよく言ったものだが、どれぐらいの時間が経てばオレの気持ちは救われるのだろうか。

そう、一つだけあの人に聞けるとしたら、このまま東京で供養してあげるのがいいか、それとも両親のお骨のある場所を探してそこに一緒にしてあげるのがいいか、という事だろうか…
オレはできれば東京で面倒を見てあげたいし、このまま供養してあげたいと思っているよ。
あなたはなんにも言わずに逝ってしまったから…
どっちがいい?社長…

2013年7月17日水曜日

さようなら 社長

7月17日未明、社長が息を引き取った。

前日から様子がおかしく、朝心配で見にいったら息をしてない。
119番した。
心臓マッサージをした。
まだ体にはぬくもりがある。

救急隊が来て蘇生措置をするがダメ。
行き着けの病院に搬送されて、死亡が確認された。

覚悟はしていたけど、かけがえのない相方を失ってしまった。

逢いたいけどもう逢えない。
またバカ話しをして笑いたいけどもう笑えない。
車椅子で散歩に連れて行ってあげたいけどあなたはもういない。

ほんとにいなくなってしまったんですね…
オレはとても辛くて悲しいです。
できることならあなたのもとに逢いにいきたい。
でもそれもできないでしょう…

オレはこれから何を張り合いにして生きたらいいの?
ひとりきりで稼いでいたってつまらない…
もっとあなたとワーワーしていたかったです。

またどこかで逢うことができたら、必ず一緒に仕事しましょう、
約束ですよ…  

2013年7月15日月曜日

病気との闘い 9


7月10日の早朝、社長から電話があり「具合が悪い、もうダメかもしれん…」と息も絶え絶えにオレに喋ってきた。
オレはすぐさま社長のとこに駆けつけ、ベッドに横たわっている社長に話しかけた。
半ば意識が朦朧としていて、あまり会話にならない。
オレは迷わず救急車を呼んだ。
この人に関わってからというもの、今まで何回救急車を呼んだか忘れるぐらい頻繁に119番してきた。
救急隊が駆けつけて、社長は吉祥寺のかかり付けの病院に運ばれて行った。
オレは現場を休めない状況だったのでそのまま仕事に行ったが、昼間に担当の介護福祉士の人から電話があり、「社長は腸炎だとの事ですよ」と言っていた。
腸炎とはいっても、他に合併症でワンサカと具合の悪いところがあるのだから、なんだかオレにはあんまりピンとこない。
腸炎うんぬんよりも、足の壊疽の状態や体全体の事の方がオレは心配だった。

去年や一昨年の事を思えば、社長は自分一人でセニアカーを運転し透析に通い、身のまわりの自分の事はすべてできていたし、一緒に車で出かけたり飯を食べに行ったりもしていたのだ。
それが今年になってから当然ではあるけど何もできなくなってしまった。
足を失い、自分で出かけることができなくなってしまった事が一番ショックなことだと思うけど、それよりもなんだかわからないけど、とにかく状態が悪い。
会話もままならないような日もあるし、オレが見舞いなんかに行っても寝込んでいて起きれないこともしばしば…
足を失っただけでなく、体の調子が全体的に落ちてしまい、精神的にも相当ダメージがあるように見える。
このままでは寝たきりになってしまうんではないかという不安もあった。
それでも社長はまた半ば無理やりに退院の日取りを決めて、自宅に戻る段取りをし始めた。
退院前日に社長を見舞ったけれども、ほんとに退院して大丈夫なのだろうか?という様相だった。

2013年7月5日金曜日

病気との闘い 8


社長が退院してから、自宅兼事務所でもあるワンルームの部屋の模様がえを二人であーだこーだと言いながらやりはじめた。
古い書類やガラクタを捨て、重々しいサイドボードを解体し、通販で仕入れた収納をオレがガタガタと組み立てた。
社長はもっぱら、「部屋をあーしてこーして、こうやって」と、想像しながら構想を練る役目。
レイアウトしたり、物を小詰めてキレイに収納するとかいうのは昔からこの人はとても上手だった。
いい頭の運動や気晴らしにもなっているみたいだ。
オレはオレで日曜返上で毎週作業していたのでさすがにストレスが溜まり、良く社長と口ゲンカになった。その場はとても重苦しい雰囲気になったが、お互いそんなに引きずることもなく、毎週日曜には懲りずに部屋を作った。
そんなことを繰り返しているうちに、社長は一人でベッドから電動車椅子に乗り込み、部屋を動いてちょっとした整理ぐらいできるようになっていた。
片足がなくて、傷の状態もあまり良くないのに、いつも社長はへんなところで根性を出し、周りをびっくりさせていた。
でも、そんなに元気な素振りを見せたかと思うと、次の日は辛そうにベッドに横たわり、「足が痛い、指が動かない、目が見えない」といってしょげてしまう。体調や気分が安定しないようだ。
子供みたいな素振りで落ち込んでいる社長を見ているとなんだかオレもとても心配になり、部屋に帰って床に就いても不安で目がさめてしまうこともよくあった。