2015年8月16日日曜日

標高 3,180mの穂先





盆休みは山篭りの日々となった。
姉の誘いで北アルプスに行くことになったから…


近年までお互い疎遠ではあったが、気が付けば各々勝手に山を歩き始めていた自分と姉。
こういうのも血というものなんだろうか…
昨年の男体山に続き、姉と登るのは二回目だ。


姉の誘う山は、若かりし頃の芥川龍之介も登ったと言われる名山、槍ヶ岳。
綺麗な三角錐の形をもつ急峻な頂上部分。







なんとなく知ってはいたが、Wikiで検索した画像を見てオレは後ずさりした。





高度障害もちで岩壁が苦手な自分だ。
「こりゃ無理だわ」と感じた。

ただ、特殊な装具は必要なく、高度感に負けない気持ちがあれば登れないことも無いようで、実際、おんな子供でも制覇している人は多い。
あの押切もえチャンでさえ、べそをかきながらでも登っているのだ。



11日の夜中。オレはすでに姉のミニバンに乗り込み、長野松本ICに向けて走り出していた。

夜中の3時すぎあたりに沢渡に到着。マイカーで行けるのはここまで。
二人でビールをあおって車中で仮眠を取る。

朝の7時すぎにバスで上高地に向かう。
道中、すぐ横に焼岳が見える。でかい山だ。

8時前に上高地に到着。
でかいザックを背負い、歩きはじめた。
穂高連峰が絵画のように目の前に広がっている。

天気はまずまずといった中を梓川沿いに10kmほど歩いてゆき、標高1,800mの槍沢ロッヂに到着。
今日の宿はここだ。かき入れ時のシーズンだから混んでいる。
布団一枚分のスペースに二人が寝る。これが山小屋か…
当然ぐっすり眠れるわけもなく、夜が明ける。

朝は予報どおりの悲しい雨。
二人で顔を合わせ、とりあえず標高3,000m地点にある肩の小屋に行くことを決める。
雨具を装着し、さらに歩き始める。
まるで苦行のような山歩きになってくる。雨が止む気配もなく、標高が上がるにつれて気温も少しづつ下がりはじめる。本来ならば周りに見えるであろう北アルプスの雄大な景色もガスに覆われて真っ白な霧の世界。
だんだんと足場も岩だらけになり、ごつごつとした山道を登っていく。
いよいよ風が強くなってくる。
雨で湿った身体に吹く山の風はとても冷たく、夏でも手がかじかむ。
なんとか踏ん張り、肩の小屋である槍ヶ岳山荘に昼ごろ到着。
宿泊手続きを済ませ、携帯コンロで湯を沸かし、冷えた身体に持参のカップヌードルを流しこんでいく。
予定ならこれから頂上へ登るはずだったが、雨と霧が引かず危険なのでその日は断念。
そのままオレは前日のロッヂよりは広い就寝スペースで仮眠をとる。
目が覚めると、どんよりと頭が重くて吐き気が。
「やっぱり高度障害か…」
その日は体調悪いまま、夕食も取らずに就寝。

目が覚めれば、今日も雨。吐き気も残ったまま…
予定では今日は下山なのだが、雨の日に登り、頂上も景色も楽しめずに雨の日に下山では、何しに来たのかわからない。
15日の明日は天気予報は晴れ。
もう一日泊まる事に決め、明日の早朝に二人で穂先にアタックする事にした。
その日は高度障害も少し慣れて、飯も多少は食えた。
やる事がないから本でも読むしかない。身体を動かさないから夜も寝つきが悪かった。

次の日の早朝3時。小屋に泊まっている他の客達がガタガタと動き出す。
「星がすごい!」とささやいている声が聞こえた。
オレもつられて小屋の外に出ると、プラネタリウムのような満天の星たち。
10分ぐらいボーっと見ているうちに流れ星が3つも見えた。流星群が来ているらしい。
寝ている姉を「満天の星だよ」と言って起こす。
あたりを見ると、穂先にアタックする支度をしている人が多い。
まだ暗かったが、姉も「頂上行こう」と言うのでオレも急いで身支度。
LEDヘッドランプを頭につけ、ストレッチ。
ほんのりと空が白み始め、闇の中にうっすらと黒く浮かぶ穂先にヘッドランプの明かりが列をなして登っていくのが見える。
二人もあとから続く。
風も結構冷たくて強い。暗い中を岩壁にしがみ付きながらよじ登っていく。
オレの前を登っている青年はかなり慣れていて、それを真似しながら必死でついていく。
登りが少し渋滞し始め、岩壁に貼り付いたまま一息つかざるを得ない状況。
空は黒から群青色に明るくなりはじめ、周りの標高3,000m級の山々の荘厳な姿がはっきりと、不気味に浮かびあがってくる。
見てはいけない足元は崖。
「こんな暗い怖いとこでオレ達何やってるんだ、とんでもない所に来ちゃった」
そう思うと恐怖で足がすくむ。ただもうUターンできる状況ではない、一人では降りるに降りられない。行くしかないだろ。
無我夢中で岩や鎖やハシゴにしがみ付き、にわか仕込みの3点支持でぐんぐん登る。後ろの姉をちらりと見やるが、だいぶ離れてしまった。ただ後ろを気にする余裕がオレにはない。考えずに進まないと、足がすくんで動けなくなってしまうから。
最後の垂直のハシゴに手をかけ、確実に登って行く。

着いた…
頂上だ!

およそ八畳分ぐらいしかない頂上は人でいっぱい。
怖くて座り込んでしまうと思っていたが、どうにか普通に立っている自分。
コンデジを取り出してシャッターを切る。


あの穂高連峰がなんだか下にあるように見える、まるで宙に浮いてるような感覚。
寒さと恐怖が混ざって、膝が震えている。なにせ今年7月中だけで6人の命を飲み込んでいる槍と穂高だから。
ただアドレナリンも確実に放出されていて興奮状態。
無事に生きてここから降りられるのかという怖さと、360度の とんでもない眺めの素晴らしさが入り混じっておかしくなりそう。
どう形容したらいいか、
上は、こめかみに銃を突きつけられ、ロシアンルーレットをされながら、
下は、女にしゃぶられている、
そんな感じか、どんなだ? わからない

だんだんと日が昇ってくる。御来光だ。
するとひょっこり、遅れていた姉がハシゴから顔を出し、頂上にたどり着く。
どうやら姉の方が高所には強そうで、多少はしゃいでいる様子。
ちょうどいいタイミングで太陽も顔を出した。

20分ぐらいは頂上を満喫しただろうか…
後から人が続々と登ってくるので、降りることになった。
しかし、周りを見ていると威勢のいい輩が多い。
女の子でも涼しい顔して登ってくるし、危ない端っこをひょいひょい歩いている。ハシゴで両手を離して記念撮影している人もいた。
ただやっぱりハシゴの途中で恐怖で泣き出してしまう女性もいて、顔面蒼白でハシゴにしがみ付いている姿を見て思わず声をかけた。「頑張れ!」

さて今度はこっちが頑張る番。登るよりも帰りが大変。
姉が先行して降りていき、オレも後から続く。
岩や鎖を慎重にたどりながら下る。
周りもすっかり明るくなり、崖下もはっきり見えて怖いが、思ったよりも落ち着いて行動できている。
じっくりゆっくり歩を進め、やっと肩の小屋まで降りてきた。ものすごい充足感と安堵感だ。
姉と健闘を称えあいながら、小屋に入り朝食。
さあ、これから一気に下山して、関東に帰らないといけない。

支度を整え、小屋を後にする。
雨で登って来た時と違い、周りの雄大な景色を眺めながら降りるので、足取りも気分も軽い。
振り返ると、さっきまでいた槍の穂先や、壮大なカールが広がっている。

 

歩いて歩いて、ひたすら歩く。行き交う人達と挨拶を交わしながらひたすら下る。
途中、サルやら蛇にも遭遇した。雷鳥には遭えなかったけど…
(後になってわかった事だが、猿が雷鳥の雛を捕食することもあるんだそうだ。ハイマツ帯まで猿の生息域が広がっているらしい…)
朝、7時ぐらいに小屋を 出て、上高地に到着したのは17時近く。
休憩入れて10時間も歩いた。登りと下り合わせて40km弱歩いているから足もパンパン、足の豆の皮も破けそう。
バスに乗り込み、沢渡に向かう。身体はクタクタだが、心地よい疲労感の中でバスに揺られるのもいいもんだ。
車のある沢渡駐車場に着き、すぐ脇にある温泉でサッと汗を流して出発、松本ICに向かう。辺りはもう夜。高速に乗る前にそば屋に寄り、ざるうどんをかき込む。ここのそば屋は大当たりで、とてもうまかった。
高速に乗って諏訪湖の辺りを通りかかると花火大会をやっていて花見渋滞。そいつを過ぎて
山梨方面をひた走る。お盆のUターンラッシュで大渋滞かと思われた大月近辺も時間が遅いせいか5kmぐらいの渋滞ですんだ。JR高尾駅に着き、オレは中央線に乗り込み家路に向かい、姉は圏央道で自宅へ帰っていった。姉もオレも0:30ぐらいに家に着いた。


まるまる4日間は山の中だったが、とにかく互いに無事に帰れてなによりだ。そうでないと意味がないから。
思い返せば、ちょっぴり危険な旅だったけど、なかなか出来ない体験をさせてもらった。
日本のマッターホルンに登れたんだから…
ただ、また穂先に登りたいかと言われると首をかしげてしまうけど、でもまたどっかのデカイ山を歩く事になるんだろうな、あねちゃんよ。