2017年12月18日月曜日

行ってらっしゃい、おっかちゃん 3


4日

実家に泊まり、朝になって病院に向かった。

午前10時ぐらいだったか? 病室に入る。

横になっている母の様子は… あまり変わってない感じがする。
姉にも「母は特に変わりないよ」ってメールしたように思う。
いつものように傍らに腰掛け、母に話しかけながら顔を触ってみたりする。
実家から持ってきた新聞を広げ読む。
病室のテレビをつけてみたりもする。
廻りにはいろいろな音が溢れているけど、自分には静かな時間が流れる。

お昼どきが近づいた。
姉の友人が持ってきてくれたお弁当をもって談話室に行き、備え付けのレンジで弁当を温めて食べた。周りには数人居たかな…
黙々と1人で弁当を食して、昼を済ませた。
病室に戻る。

「ん?」
母の顔色を伺うと、ほんとになんとなくではあったけどちょっぴり青白いというか、冷たい感じの色合いというか、ほんと、ほんの少しなんだけど顔色が悪くなっているような気がした。

しばらくすると看護師さんがやってきた。
「心拍がだいぶ弱ってきています」
そう言って何分もしないうちに、主治医の先生が来た。
その時の先生の言葉はもう覚えてない。
もうわかっていた事だから。

84年続いてきた母の命は、目の前で幕を閉じた。

俺は母の手をとって握りしめて
「いままでありがとう」
そう言っていたと思う。
以前の親方の時と同じように…

2017年12月1日金曜日

行ってらっしゃい、おっかちゃん 2


母を見舞って、姉と俺は実家に戻った。

俺は毎度のことだが、個人請負で仕事をやっているので休めない。
その日は実家に泊まり、早朝の3時ぐらいに起きてカローラに飛び乗り、東北道で東京に向かった。真っ暗な高速道を、夜中のテレビでもぼんやり眺めるような感覚でハンドルを握って運転している。
「トラックも結構走ってるなぁ」なんてボヤきながら…
それからの日々というのはとにかく、時間や曜日の感覚があまりなく、半分夢心地のようなユラユラした状態だったかな。

世田谷で仕事をしながら、寝不足とこれからの事で気持ちは不安定だった。
15時ぐらいに仕事を終え、また宇都宮に向かった。
病室に行くと姉と甥姪たちが来ていた。
日中は母の妹弟が見舞いに来たらしい。
母は昨日と変わっていない。

変わっていない?

今の母の状態はどういう状態なんだ?
生きていると言えるのか、ピクリとも動かない。
目も開けないし、言葉も発さない。

その日、母を個室の病室に移してもらった。
皆で母を囲んで座っている。
しばらくすると主治医の先生が来た。
神妙な面持ちで母を見て、言葉を飲み込んでいるようだった。
しばらく沈黙が続いた。
「何かありますか?」と、去り際に先生が問うてきた。
皆、何も言わない。
俺は無意識に言葉を発した。
「あの、しばらく、何日もこういう状態のままなんでしょうか…」
先生は「一週間も二週間もは…、ないですね…」と、とても静かで柔らかな口調で答えてくれた。
それを聞いていた皆は、なんとなくわかってはいたのだろうけど、
主治医の言葉を理解して、急にすすり泣きだした。


椅子に腰掛けて、ただひたすら時間が流れる。
人工呼吸器の音だけ規則正しく響いている。
姉も仮眠できる部屋に出ていった。
傍には母がいる。
頬にふれると暖かい。
ふと話し掛けるけど、何も返してくれない。

11月3日の早朝。
俺は「何か食べてくる」と姉に言って外に出た。
ファミマでミートソースを買って車内で食べたと思う。あとホットコーヒーも。
すぐに病室に戻った。
姉も当然疲れている。
「何日かはこっちに居れるから、家に戻ってもいいよ」
俺は姉にそう伝え、とりあえず早朝に二人で実家にもどり、
姉と子供たちは埼玉の住まいに戻った。
俺は数時間実家で休んでそれからまた病院に行き、何時間か母の横に座っていたかな。

夜になって俺はひとりまた実家に戻った。
母も誰も居ない実家で夜を過ごすのは、この日が初めてのように思う。
何を食べたっけ?風呂は沸かして入ったな…
とにもかくにも、静けさと寂しさで実家にあんまり居たくなかった。