2015年9月12日土曜日

心技体




広い世の中、猿やカモシカも登らないような岩壁を登るツワモノはたくさんいるようだが、フリーソロというカテゴリーだと、とても人間技とは思えないようなクライマーもいる。
ほんのわずかな手がかり足がかりを頼りに、なんの安全確保もなしで何百メートルと切り立った岩峰を一人で進んでいく姿は本当にタフな世界だ。

技術面、精神面、肉体面すべてが突出していないと出来ないだろうが、ほんの些細なミスでも命を落としてしまうギリギリの世界。特に精神面がすごく不思議でならない。
死に対峙した状態で心を冷静に保つ技なんて、習得したり鍛えたりできるものなのか?
それとも持って生まれた物なのか?

絶対にやりたくもないしできない世界ではあるけれど、でもちょっと憧れたりもする。
カッコつける事もなければ、能書きをたれることも、駆け引きすることも色目を使うこともない。
あるのは己の身体とビッグウォールだけしかないんだから…









2015年8月16日日曜日

標高 3,180mの穂先





盆休みは山篭りの日々となった。
姉の誘いで北アルプスに行くことになったから…


近年までお互い疎遠ではあったが、気が付けば各々勝手に山を歩き始めていた自分と姉。
こういうのも血というものなんだろうか…
昨年の男体山に続き、姉と登るのは二回目だ。


姉の誘う山は、若かりし頃の芥川龍之介も登ったと言われる名山、槍ヶ岳。
綺麗な三角錐の形をもつ急峻な頂上部分。







なんとなく知ってはいたが、Wikiで検索した画像を見てオレは後ずさりした。





高度障害もちで岩壁が苦手な自分だ。
「こりゃ無理だわ」と感じた。

ただ、特殊な装具は必要なく、高度感に負けない気持ちがあれば登れないことも無いようで、実際、おんな子供でも制覇している人は多い。
あの押切もえチャンでさえ、べそをかきながらでも登っているのだ。



11日の夜中。オレはすでに姉のミニバンに乗り込み、長野松本ICに向けて走り出していた。

夜中の3時すぎあたりに沢渡に到着。マイカーで行けるのはここまで。
二人でビールをあおって車中で仮眠を取る。

朝の7時すぎにバスで上高地に向かう。
道中、すぐ横に焼岳が見える。でかい山だ。

8時前に上高地に到着。
でかいザックを背負い、歩きはじめた。
穂高連峰が絵画のように目の前に広がっている。

天気はまずまずといった中を梓川沿いに10kmほど歩いてゆき、標高1,800mの槍沢ロッヂに到着。
今日の宿はここだ。かき入れ時のシーズンだから混んでいる。
布団一枚分のスペースに二人が寝る。これが山小屋か…
当然ぐっすり眠れるわけもなく、夜が明ける。

朝は予報どおりの悲しい雨。
二人で顔を合わせ、とりあえず標高3,000m地点にある肩の小屋に行くことを決める。
雨具を装着し、さらに歩き始める。
まるで苦行のような山歩きになってくる。雨が止む気配もなく、標高が上がるにつれて気温も少しづつ下がりはじめる。本来ならば周りに見えるであろう北アルプスの雄大な景色もガスに覆われて真っ白な霧の世界。
だんだんと足場も岩だらけになり、ごつごつとした山道を登っていく。
いよいよ風が強くなってくる。
雨で湿った身体に吹く山の風はとても冷たく、夏でも手がかじかむ。
なんとか踏ん張り、肩の小屋である槍ヶ岳山荘に昼ごろ到着。
宿泊手続きを済ませ、携帯コンロで湯を沸かし、冷えた身体に持参のカップヌードルを流しこんでいく。
予定ならこれから頂上へ登るはずだったが、雨と霧が引かず危険なのでその日は断念。
そのままオレは前日のロッヂよりは広い就寝スペースで仮眠をとる。
目が覚めると、どんよりと頭が重くて吐き気が。
「やっぱり高度障害か…」
その日は体調悪いまま、夕食も取らずに就寝。

目が覚めれば、今日も雨。吐き気も残ったまま…
予定では今日は下山なのだが、雨の日に登り、頂上も景色も楽しめずに雨の日に下山では、何しに来たのかわからない。
15日の明日は天気予報は晴れ。
もう一日泊まる事に決め、明日の早朝に二人で穂先にアタックする事にした。
その日は高度障害も少し慣れて、飯も多少は食えた。
やる事がないから本でも読むしかない。身体を動かさないから夜も寝つきが悪かった。

次の日の早朝3時。小屋に泊まっている他の客達がガタガタと動き出す。
「星がすごい!」とささやいている声が聞こえた。
オレもつられて小屋の外に出ると、プラネタリウムのような満天の星たち。
10分ぐらいボーっと見ているうちに流れ星が3つも見えた。流星群が来ているらしい。
寝ている姉を「満天の星だよ」と言って起こす。
あたりを見ると、穂先にアタックする支度をしている人が多い。
まだ暗かったが、姉も「頂上行こう」と言うのでオレも急いで身支度。
LEDヘッドランプを頭につけ、ストレッチ。
ほんのりと空が白み始め、闇の中にうっすらと黒く浮かぶ穂先にヘッドランプの明かりが列をなして登っていくのが見える。
二人もあとから続く。
風も結構冷たくて強い。暗い中を岩壁にしがみ付きながらよじ登っていく。
オレの前を登っている青年はかなり慣れていて、それを真似しながら必死でついていく。
登りが少し渋滞し始め、岩壁に貼り付いたまま一息つかざるを得ない状況。
空は黒から群青色に明るくなりはじめ、周りの標高3,000m級の山々の荘厳な姿がはっきりと、不気味に浮かびあがってくる。
見てはいけない足元は崖。
「こんな暗い怖いとこでオレ達何やってるんだ、とんでもない所に来ちゃった」
そう思うと恐怖で足がすくむ。ただもうUターンできる状況ではない、一人では降りるに降りられない。行くしかないだろ。
無我夢中で岩や鎖やハシゴにしがみ付き、にわか仕込みの3点支持でぐんぐん登る。後ろの姉をちらりと見やるが、だいぶ離れてしまった。ただ後ろを気にする余裕がオレにはない。考えずに進まないと、足がすくんで動けなくなってしまうから。
最後の垂直のハシゴに手をかけ、確実に登って行く。

着いた…
頂上だ!

およそ八畳分ぐらいしかない頂上は人でいっぱい。
怖くて座り込んでしまうと思っていたが、どうにか普通に立っている自分。
コンデジを取り出してシャッターを切る。


あの穂高連峰がなんだか下にあるように見える、まるで宙に浮いてるような感覚。
寒さと恐怖が混ざって、膝が震えている。なにせ今年7月中だけで6人の命を飲み込んでいる槍と穂高だから。
ただアドレナリンも確実に放出されていて興奮状態。
無事に生きてここから降りられるのかという怖さと、360度の とんでもない眺めの素晴らしさが入り混じっておかしくなりそう。
どう形容したらいいか、
上は、こめかみに銃を突きつけられ、ロシアンルーレットをされながら、
下は、女にしゃぶられている、
そんな感じか、どんなだ? わからない

だんだんと日が昇ってくる。御来光だ。
するとひょっこり、遅れていた姉がハシゴから顔を出し、頂上にたどり着く。
どうやら姉の方が高所には強そうで、多少はしゃいでいる様子。
ちょうどいいタイミングで太陽も顔を出した。

20分ぐらいは頂上を満喫しただろうか…
後から人が続々と登ってくるので、降りることになった。
しかし、周りを見ていると威勢のいい輩が多い。
女の子でも涼しい顔して登ってくるし、危ない端っこをひょいひょい歩いている。ハシゴで両手を離して記念撮影している人もいた。
ただやっぱりハシゴの途中で恐怖で泣き出してしまう女性もいて、顔面蒼白でハシゴにしがみ付いている姿を見て思わず声をかけた。「頑張れ!」

さて今度はこっちが頑張る番。登るよりも帰りが大変。
姉が先行して降りていき、オレも後から続く。
岩や鎖を慎重にたどりながら下る。
周りもすっかり明るくなり、崖下もはっきり見えて怖いが、思ったよりも落ち着いて行動できている。
じっくりゆっくり歩を進め、やっと肩の小屋まで降りてきた。ものすごい充足感と安堵感だ。
姉と健闘を称えあいながら、小屋に入り朝食。
さあ、これから一気に下山して、関東に帰らないといけない。

支度を整え、小屋を後にする。
雨で登って来た時と違い、周りの雄大な景色を眺めながら降りるので、足取りも気分も軽い。
振り返ると、さっきまでいた槍の穂先や、壮大なカールが広がっている。

 

歩いて歩いて、ひたすら歩く。行き交う人達と挨拶を交わしながらひたすら下る。
途中、サルやら蛇にも遭遇した。雷鳥には遭えなかったけど…
(後になってわかった事だが、猿が雷鳥の雛を捕食することもあるんだそうだ。ハイマツ帯まで猿の生息域が広がっているらしい…)
朝、7時ぐらいに小屋を 出て、上高地に到着したのは17時近く。
休憩入れて10時間も歩いた。登りと下り合わせて40km弱歩いているから足もパンパン、足の豆の皮も破けそう。
バスに乗り込み、沢渡に向かう。身体はクタクタだが、心地よい疲労感の中でバスに揺られるのもいいもんだ。
車のある沢渡駐車場に着き、すぐ脇にある温泉でサッと汗を流して出発、松本ICに向かう。辺りはもう夜。高速に乗る前にそば屋に寄り、ざるうどんをかき込む。ここのそば屋は大当たりで、とてもうまかった。
高速に乗って諏訪湖の辺りを通りかかると花火大会をやっていて花見渋滞。そいつを過ぎて
山梨方面をひた走る。お盆のUターンラッシュで大渋滞かと思われた大月近辺も時間が遅いせいか5kmぐらいの渋滞ですんだ。JR高尾駅に着き、オレは中央線に乗り込み家路に向かい、姉は圏央道で自宅へ帰っていった。姉もオレも0:30ぐらいに家に着いた。


まるまる4日間は山の中だったが、とにかく互いに無事に帰れてなによりだ。そうでないと意味がないから。
思い返せば、ちょっぴり危険な旅だったけど、なかなか出来ない体験をさせてもらった。
日本のマッターホルンに登れたんだから…
ただ、また穂先に登りたいかと言われると首をかしげてしまうけど、でもまたどっかのデカイ山を歩く事になるんだろうな、あねちゃんよ。
















2015年5月24日日曜日

山が教えてくれたこと




新聞を読んでいたら、若い頃にエベレストにアタックして凍傷で手の指を10本失った方の話しが出ていた。


山なんぞに興味のない人からしたら、「なぜいちいちつらい目に遭いにいくのか」と思うに違いないような話しだ。
でもその方はこう書いている。「山には厳しさと優しさがあり、自立心を養ってくれる」
自分も「うんうん」と、うなずきながら読んだ。


今まで4,5年かけて単独行でいろんな山に登ってきたけど、特に最初の頃に日帰り強行で登った北岳は今でも想い出が深い。
自分の体力や足腰と相談しながら計画を練り、真っ暗な林道を登山口に向けて車で走っていく感覚は期待と不安が交錯してすごくドキドキしたものだ。
登山口まで来れば、周りの澄んだ空気と豊かな自然が身を包んで不安を取り払ってくれるし、雲のあいまから見える、遠く高く立つ北岳の姿はどこまでも神々しくて、その姿が更に自分を奮い立たせてくれた。

上りの道中はそれこそ、ほんの少しの飴とたくさんの鞭、の世界。
ただひたすらに何時間も登り続けて、心臓はフルに稼動し、息も絶え絶え、でも登ってゆく。
頂にだんだんと近づき一息ついて天を見上げれば、下界と明らかに違う蒼さの空。陽の光も刺すように強い。周りを取り囲むアルプスの山々の姿も気高くて綺麗だ。
そういえば冷や汗も出てくる。吐き気もしてくるし、クソも出そう。穴という穴から身体のモノが出そう。これが酸欠の症状なのか。

人は元来シンプルだ。
山に登り続ければ、心拍数は一気に上がる。別に自分で上げている訳じゃない、身体が酸素を欲しているんだ。「酸素が足りないぞ、息をたくさんして、心臓をもっと動かさないと血がめぐらないよ」と…
なんぼ自分を好きになろうが嫌いになろうが辛くて死にたくなろうが、自分の身体は健気にひたすら生きようとするものだ、そう教えてくれる。

そんな事を味わっていきながらたどり着くピークでの景色はまた別世界だ。
達成感と心地よい疲労と大パノラマのご褒美は他にはない。


冒頭で書いように、「いちいちつらい目に遭いに行くようなもの」
山に対してそう思う人って多いんだろうか。
あれもこれも満たされて人並みに生きる事って、ある意味なんの思想も哲学もなしで生きていけることの裏返しのようにオレには映って見えてしまうけど…




 

2015年5月10日日曜日


暑くもなく寒くもなく、
梅雨入り前のカラッとした陽気。

何をするのも自然と気分が軽くなる季節だ。

以前はあまり気にも留めなかったが、身のまわりの木々の緑がひときわ映えて見えるようになった。


光を求め一心に伸びて新緑する木々の葉は、理屈抜きで綺麗だから…






人に限らずとも、生きとし生けるものは最後に大地へ還る。

精霊たちの眠る大地に根を張って、ただひたすら健気に黙々と、人に注目されようがされまいが、

何百年も木々は生きぬいていくんだから、

綺麗でない理由なんてどこにもない。


2015年4月18日土曜日

マスタング 半世紀


古くからのマスタング乗りの友人に誘われて、イベントのようなオフ会のようなものに参加してきた。
米国フォード車のマスタングの生誕50周年を記念した集まりで、蔦谷モーニングクルーズとのコラボレーションらしい。
関東近郊のマスタングオーナーさん達が代官山に集合。
40台以上のマスタングが年式に関係なく集まってきた。







これだけのマスタングが集まってくる催しは俺も初めてだし、こういう賑やかな集まり自体ひさしぶりだ。
S197が圧倒的に多かったけど、60年代のファーストマスタング、70年台のビッグマスタング、マスタングⅡ、フォックス、SN95、S197、そしてS550マスタングとほぼ出揃った感じ。
アメリカ生まれの車が遠く離れた島国でこうして集まってくるということ自体すごい事で、この車の根強い人気というのが垣間見れた。
自分もマスタングを3台乗り継いできたし、何年かぶりに偶然会うオーナーさんも何人も来ているぐらいだから、マスタング乗りは一途なオーナーさんが多いんだろう、きっと…


2015年1月11日日曜日

Shelby GT500


納車してから半月が経った。

やっぱりマスタングにして良かった。
コルベットと比べ、ワクワク度が全然違う。

でも、サスは硬くてかなり軋むし、可倒しない本国ミラーはバカでかい。
エアコンはあってもダイアル式。野暮ったいラジオのアンテナもおっ立っていて、メーターに目をやればMile表示。
国産や欧州車が好きな人からしたら、とても21世紀の車とは思えないような感覚を抱くだろう。
はっきり言うと不出来なのだ。
ただ人間と一緒で、容姿端麗で文武両道のエリートよりは、少し愛嬌があるぐらいの方がオレはやっぱり好きなんだ。
無骨でパワーがあって文句なしにカッコいい、それでいてフレンドリー。
それがマスタングなんだから…

2008年型のこいつはS197の初期のモデル。一番好きなモデルだ。
金の事もあるだろうけど、後期モデルだったら買ってない。それぐらい好きだから。
Shelby GT500というネーミングだが、別に昔からあるシェルビー社の車両ではない。
キャロルシェルビーが少し関わっているとは聞いても、何をどこまでやっているのかは良く知らない。
あくまでFord社のカタログにある車で、以前の愛車だった97コブラ同様、SVTのエンジニアの息がかかっている。
でも「シェルビーに乗ってるぜ」と自慢しても嘘ではない。
SuperChargerを積んだこいつはどれほど凶暴なのかと思っていたけど、そんなにキチガイみたいな加速はしない。まあそれにしたって踏み込んだら命や免許がいくつあっても足りないぐらいのパワーの持ち主、大事に乗ってやりたい。


コルベットのC5を半年で降りて、衝動買いしたマスタング。
なんとなく思うのは、すごく満足できる車にやっと乗れたなぁって事だろうか。
もう当分アメ車に乗ったり遊びに行くのは無理と思っていたけど、いろいろな出来事とめぐり合わせで、ここまで来た。
別に次の車の夢を全く捨てるわけではないけど、値段の張る車を買うのはまあこのぐらいでいいんじゃないかって気もする。上を見れば物凄い車はいっぱいあるけど、そこまでして欲しいという感覚もない。

オレの身分からしたら、こいつは上等すぎるぐらいの奴なんだから