2014年1月5日日曜日

2014年


2014年がやってきた。

年末に久しぶりに友人にあったり、帰省して甥姪たちにお年玉配ったり、家族で温泉宿に行ったり墓参りに行ったりした。

オレ自身続けていることと言えば、高尾山を徒歩で参拝して古い団扇のお焚きあげと新しい天狗の団扇を購入するという行事だ。
高尾山も朝の7時前に登り始めればそんなには混まない。
ほとんどの人はケーブルカーを利用しているが、オレは2時間ぐらいかけて徒歩で登り降りする。
これからは信仰登山みたいな面持ちもあるかも知れない。息せき切って登らないことには自分の身体や気持ちも理解できないし…

そして帰りはまた相棒の霊園に新年の挨拶をしにいった。
毎度のことながら涙があふれてしょうがない。
年が変わったのだから、気持ちを入れ換えてスッキリとスタート!といいたいところだけど、なかなかそうもいかないみたい。

最近ちょっぴり自分で感じたのは、すこし人格がねじれてしまったのでは、という事だろうか…
泣いてない日の方が少なかったかな、っていう1年を過ごしてきて、急に浮世めいたところに出るとほんと、強く感じてしまう。
人々の幸せなニュースや、あれを買ったこれを買っただのという話題が正直言ってうとましく感じる。それはオレに対するあてつけなのか、とさえ思ってしまう事がある。
今までこういう気持ちになった事なんてなかったのに、自分で自分が嫌になってしまう…
こうやってあまり人を隔ててしまうのも良くないことなのはわかっているのだけど、どうしてもそんな気持ちが出てきてしまう。少しずつ直していかないといけないだろう。

そう、このあいだ甥っ子が実家のオレの部屋から手塚治虫の「火の鳥」を引っ張り出して読んでいて、オレも久しぶりに一巻めを読んだ。

邪馬台国を統治する卑弥呼に仕える防人の猿田彦。
彼は別の部族のナギという、親子ほど年の離れた血気盛んな若い男の子の弓の才能を見いだして、共に鍛錬するようになり、絆を深め、命がけで互いを守ろうとする姿が描かれている。
そして猿田彦はナギにこう言う。「卑弥呼さまに一心に仕えて30年が経ったが、オレに残ったのはばかさかげんだけだ、お前にはそうなって欲しくない」

オレはこのセリフを読んでドキッとした。なんだか今ある自分の姿と重なりあったからだ。
あまり自分自身、器用でもなければ今風の思想もない、ちょっぴり変わっていると思っている。
でもこういう世界もあるんだな、といううれしさが感じられた。

去年の夏に相棒が旅立つ何日か前、こんな言葉を口にしていたっけ…

「お前はオレに生きる勇気をくれた…」

病気の相棒と十数年、苦楽を共にして必死にやってきた。相棒をなくした今のオレには正直いって、ばかさかげんしか残ってないかもしれない。
でもあの人が遺してくれたその言葉だけでオレは生きていける気がするのだ。