2016年2月5日金曜日



本はたくさん読んだ方がいい。

なんとなく思ってはいても、なかなか苦手だ。
仕事でイライラしたりしていると、活字を読んでもなかなか頭に入らない。
それでも最近すこし読むようになったかな。
内容にもよるけど、月に3冊読むのは自分にしては珍しい…




御巣鷹山を題材にした小説。
あの日航機の墜落をもとにした小説だ。
社会派の山崎さんらしい世界に没頭した。

なかでも、墜落からその後の一部始終をリサーチして書き上げた部分は、たとえ書物の中だけの話しとはいえ、衝撃的で心を打つものがある。
自分の家族を一瞬にして失い、粉々になって回収された誰だかわからない遺体を確認しながら、何日も自分の肉親を探さねばならない地獄はとても悲しく、海の底に沈められているように重い。


自分がこういう内容に共鳴するようになったのは、親しい人との悲しい別れを経てからだ。
人が「死」を目の当りにし、考えるときは、それは紛れもなく「生」を考える瞬間でもあると思う。
今の日本は医療が発達しているし、戦争も何十年もない。生と死がワンセットであることを感じにくくなっている時代の中で「死」というキーワードを出すと、なんだか暗くて辛気臭く思われがちだけど
決してそんな事はないだろう。なぜって、それはすべての生命の根幹なんだから。

3年前、相棒が病院で切り刻まれながら亡くなってゆき、間髪入れずに次は父が逝き、ひとりで泣きながら苦しんでいる時に自分を救ってくれたのは、人の言葉や文章、音楽や自然や山や仕事だった。
山の中で心臓をバクバクいわせながら危ない崖を登り充足感を得るのは他でもない、「生」を実感できるからだ。
また、同じような苦しみを味わった人や年配の方の言葉というのは、言葉数こそ多くはないが、とても心に響くし時間を経ても忘れないものだ。
仕事もそう、仕事自体に自浄作用があるわけではないけど、作業であくせく動いてる時や仕事仲間と雑談している時は気持ちがかなり紛れる。

こういった事を経てくると、身のまわりにあふれている事柄が少し息苦しく感じるようになる。人に注目されたいとか売りたいという作為が濃くて、すごく疲れてしまう。
テレビにしてもそうだし、電車の雑紙の吊り広告のキャッチコピーひとつをとっても、なんだか気色わるい。資本主義でいろいろ売るためには仕方ないし、あんまり否定しても頑固な世捨てオヤジみたいになってしまうからまあやめるが…

でももちろん好きなテレビもある。
ちびまる子ちゃんなんかはいいと思う。
一見くだらないアニメに見えるけど、大事なものが凝縮されているから。

なんだか、本の話しじゃなくなったな…



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